鬱病や統合失調症、適応障害など
心の障害で苦しむ人達を在宅で支援する。

精神科を主力とする
訪問看護ステーション

運営管理の仕事をしている潮田益道です。

訪問看護ステーションを開設して
6年が過ぎました。

開設したころは、
高齢者の介護や医療依存度の高い
方々への訪問が中心でしたが、

精神科の訪問看護にも力を入れて参りました。

訪問看護を開始してから周りを見渡してみると
精神科の訪問看護を行っている事業所が少ない
ことに気づいたのです。

さらに精神科の訪問看護に力を入れている
事業所はほとんどありませんでした。

目次

なぜ精神科の訪問をしないのか?

・精神科で勤務した経験のある看護師が少ないこと。
・精神科病院と訪問看護ステーションとの
繋がりが少ないこと。
・一定の研修が必要なこと。
・国への届け出が必要なこと。
・特別な職種というイメージ。

など上げられます。

しかし私の場合、
医療機関での経験がなかったからなのか
又、恐れ知らずだったのか、

実は兄が精神科医で、
「これから精神科の訪問看護は必要になる」
と言ったので、
弟の私がやるのは当然だと思いました。

そして、もう一つ
私が心に障害がある方と向き合う
ことになる理由がありました。

その経緯を紹介させていただきます。

統合失調症で苦しんだ母とその死

私の母は、私を生んで直ぐ体調を崩し、
いわゆる産後のひだちが悪かったらしく
床に伏せることが多くなり、

私が3歳ぐらいの時から
幻聴や妄想症状が出始め、
いわゆる統合失調症という
精神病と診断されました。

結局、
家で過ごすことができなくなり
精神科病院に入院しました。

まさかそこから長い闘病生活になるとは
母も家族も思ってもいませんでした。

母の症状はなかなか改善することなく、
入退院を繰り返し、
病院もたびたび転院し、
気がつけば20年以上経過していました。

そしてやっと入院することなく、
なんとか落ち着いて自宅で普通の生活が
できるようになったのが、
私が23歳ぐらいでした。

寝込むことは多かったけれど、
買い物に出かけたり料理洗濯したり、
少し安定した生活ができるようになって
数年が過ぎた頃。

残念ながら突然トイレで倒れ、
急性心不全で亡くなりました。

58歳でした。

その時私は26歳でした。

受け入れない、否定し続ける母の死

やっと自分の人生を豊かではないけど、
ささやかに生きて行けるようになったと
家族で喜んでいた矢先の急死に、

私は世の中結局こんなものか
絶望というか、なんともいえぬ虚無感
でいっぱいでした。

もちろん仕事やプライベートもあり
しばらくして立ち直りましたが、

この虚無感は私の一部として残り続け、

私はこんな母のような報われない生き方は
絶対にしないぞと思うようになりました。

私は子供の頃から
母によく似ていると言われ、
私も母と同じような人生になるかもしれない
という思い込みがあり、

きっと、
怖かったのだと思います。

私の6歳上の兄は、
母のような心を患った人を
治したいという思いから医療を目指し、

精神科の医師となり、
現在も大学病院で
精神科医療に取り組んでいます。

いくらやっても満たされず、仕事を口実に不安を紛らわす日々

私と兄とはまったく別の道を歩み、
私はホテル結婚式場に進み、
1000組以上のカップルのお世話をしました。
今で言う、ウエディングプランナーです。

そこで出会ったカップルやご両親、ご家族と
長ければ1年以上に及ぶ接客や打ち合わせ、

そしてクレーム対応の中、
様々なコミュニケーション技術を身に着けました。

それが、
現在の精神科の訪問看護での対応に
生かされています。
訪問看護はサービス業でもあるからです。

ただここで常に、
私の頭にあったのは、
他のスタッフに負けたくない、
成果を上げて高いポジションを得る。

休みなんて最低限でいい、
朝から深夜まで家のことは顧みず、
子供のことは妻に任せきり、

結果を出さなくてはいけないと思い続け、
休みをとれば不安になり、

気が付けば年間休んだ日数がわずか5日
という年もあり、
こんなワーカホリック状態
約15年続きました。

その結果確かに業績は上がり、
周りにくらべれば
それなりのポジションを
得ることができましたが、

だからと言って、
心が満たされ幸せだと感じたことは
ありませんでした。

むしろいつも感じていたのが、
何とも言えない虚しさ、
虚無感でした。

結局、仕事を口実に
忙しくすることで、

不安を紛らしていたのです。

そしてある時、
そう言えば今の虚しさは、
母が亡くなったときの虚しさと
同じじゃないかと感じ、

結局、
心身ともに行き詰った私は、
約20年近く勤務した結婚式場を
退職しました。

精神科訪問看護との出会い

その後、
人材派遣会社に入り営業の仕事に携わり、

その会社での新規事業として
6年前、訪問看護ステーションを立ち上げる
ことになりました。

そしてこの訪問看護ステーションは、

今後精神科の退院者の増加が見込まれること、
福祉的な貢献が期待される分野だと、

精神科医である兄の強い勧めもあり、
精神科の訪問看護に力を注ぎました。

精神科の訪問看護の
出会いがなければ

今の私はなかった。

兄は初めから精神科の医師を目指し
私は結婚式というサービス業に進んだけれど、

60歳近くで職種は違うにせよ、
同じ方向を向くことになりました。

こころを患う方々を支援する仕事に
ついたのは統合失調症の母との
縁かもしれません。

精神科訪問看護は意外に楽しい

精神科の訪問看護というと、
なんとなく怖い、
ストレスが多いと
思うかもしれません。

たしかに、そういうところもあります。

しかし、
私の訪問看護ステーションの
看護師や作業療法士さんは、

利用者さんのことを、
皆「かわいい」と言います。
(訪問看護では制度上、
患者さんのことを利用者と呼びます。)

なぜそう思うのか、

たとえば、
統合失調症と診断された方がいると
その人のすべてが統合失調症のように
感じてしまいがちですが、
障害は全体の一部に過ぎません。

健康な部分もたくさんあります。

だから、
訪問看護に入ってまず見るのは、
その人の健康なところ、
できているところです。

つまり、良いとこ探しです。

できているところを見るので
訪問が楽しくなります。

利用者さんも、
こちらから明るく接すると
こころを開いて話してくれます。

みなとても気持ちよく
訪問してくれています。
ありがたく感謝しています。

もちろん楽しことばかりではないですが、
やりがいと充実感でいっぱいです。

そんなステーションであることに、
自信と誇りをもっていて、
そんな事業所が増えることを願っています。

このブログでは
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